┣日本橋倶楽部 沿革

 


創  立        

社団法人認可
復興会館 
一般社団法人に移行
移 転 


明治23年10月
明治40年 2月
昭和30年11月
平成22年  9月
平成26年  3月


 日本橋がわが国の経済中枢を掌握し、総ての経済動脈が、この日本橋から始まっていた時代、 即ち明治二十三年十月、日本橋区民有志総代として、国会議員藤田茂吉氏は、欧米における倶楽部組織を移し、商工業の隆盛を目的とする親睦社交機関として、 日本橋倶楽部を区内浜町に創設、各方面の賛同を得て忽ち倶楽部会員三百余名を算えるに至った。

 明治四十年二月、倶楽部はその組織を社団法人に変更し、初代理事長に菊池長四郎氏就任、次いで大橋新太郎氏、市原求氏相継いで理事長となり、 その間大正十二年の関東大震災のため会館は焼失したが、理事長初め各理事の努力によって、木造二階造りの洋館を交えた瀟洒な建物に純日本式の庭園を配した、落ちついた雰囲気の倶楽部を復興した。

  昭和二年、三輪善兵衛氏(二代目)が理事長に就任、会員は益々増加し一千余名に達し、遂に会館の狭溢を感ずるに至ったので、三輪理事長は将来を達観して、 雄大なる計画を樹て、昭和十三年浜町河岸の旧館を取り毀し、鉄筋コンクリート建て、延千四百三十二坪の白堊の殿堂を建設した。
  その壮麗なる姿は隅田川に映し、日本橋の一名所として中小商工業発展のために貢献するところ尠なからず、名士の講演に、趣味の集会に、あらゆる方面から都民親しまれて七星霜、東都中心の社交場として殷賑を極めた。
 然るに五代目理事長細田安兵衛氏(四代目)就任中、惜しくも戦火に禍いされて之を喪ったので、六代目理事長三輪善兵衛氏(三代目)は戦後諸般の不自由を忍んで復興に邁進、 月例の午餐会によって会員の連絡を密にし、渡辺善十郎、山本泰介、清水康雄、濱野茂、堀越善雄他理事諸氏の協力により、 昭和三十年日本橋室町一丁目に地上八階地下一階建ての近代ビルを建設、三、四、五階を倶楽部として和洋折衷の設備を施した。

 
 戦後東都に於ける実業の中心は、東京八重洲口前より日本橋一帯にかけて発展。

日本橋倶楽部はこの中心に位置し、 再び会員相互の社交場として発足。

 ついで昭和四十七年十一月、七代目理事長細田修三氏は、ビル外壁の大改造に着手し、二階を倶楽部専用に改装した。
昭和五十五年七月津村重舎氏が、平成八年五月には山本恵造氏が理事長に就任し、在任八年に亘り、倶楽部発展に大いに寄与した。

 
平成十六年五月、 第十一代理事長に細田安兵衛氏(六代目)が就任し、三井不動産㈱と共に日本橋室町東地区の開発計画をはじめ地域の商工業発展のため努力邁進中である。
 この開発計画の第一期工事として平成二十二年十月に竣工した「室町東三井ビルディング」(低層階の商業施設名「コレド室町」)十二階に仮移転した。 なお、同計画第二期工事として平成二十六年初に日本橋室町一丁目に竣工予定の新ビルに再移転。

 他方、公益法人制度改革への対応として、東京都から認可を得て平成二十二年九月より「一般社団法人」に移行した。
 
 
 

 

 

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